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コスパで測るコロナ下の学校教育と大学受験

ヒューモニー特別連載4

第1回 コスパが疑問な“少人数学級”

2020年11月14日 掲載

筆者 赤林英夫(あかばやし・ひでお)  

三密回避のために検討されている少人数学級は本当に必要なのか? 教育経済学の第一人者・赤林英夫教授が、“聖域”教育に“お金”で斬り込む短期集中連載第1回。

 筆者の専門分野は教育経済学です。教育制度や政策の意義を、数字やモデルを使い、いわば、教育を損得勘定で考えるのが仕事です。

良い教育とはどういうものか、という議論はネット上にもあふれています。どれも見るからに聞こえがいいのですが、実際にそのすべてを行うことは、学校でも家庭でも不可能です。お金も時間もとても足りないからです。

かけなければならない時間やお金のコストに対してそこから得られるものをベネフィットとし、両者を比較して「全部はやらないようにする」のが教育経済学です。いってみれば、「良さそうなのは何でもやろう」という、いけいけどんどん論の対局にある考え方です。コストと比較しなければならないので、ベネフィットもできるだけお金に直します。もちろん、教育で大事なのはお金だけではありませんが、話をわかりやすくするためです。

日本では、「命が大事」と言われると、費用対効果を考えずにいくらでもお金をかけなければならない、と考える人が多いように思います。教育も同様で、子供のためならお金も時間も糸目をつけないという人もいるでしょう。それだけなら個人の自由ですが、国や自治体がそれをやると、税金は無限に必要ですし、学校の先生は無限に働かされます。家庭も社会も、どこかで判断基準が必要ですし、そのために、教育経済学の考え方はとても有益です。

教育をお金で考えるなんてけしからん、とか、教育を功利主義で考えることが日本の教育をダメにしたんだ、という主張があることも承知しています。それについては連載の最後で触れることにして、この連載では、コロナ下であらわになった日本の学校教育を巡るいくつかの問題を考えてみたいと思います。 コロナウイルス危機は、日本の学校教育を根底から変えようとしています。政府が一気に廃止の方向で進めようとしている日本のハンコ社会と同様に、日本の教育でも、これまで当たり前と思っていたけれど実はそうではない、そうであってはならないことがあります。日本社会は外圧がなければ変わらないとよく言われますが、コロナをきっかけに日本の教育の考え方を本気で変えられるかどうかは、私たち次第です。

では、コロナ後の日本社会がどこかで考えなければならない、日本の教育の課題をいくつか取り上げてみましょう。

三密回避のための少人数学級は必要か?

コロナウイルス危機をきっかけにして、教育再生実行会議などでは、小中学校の学級規模を小さくし、そのために教員を増やすべきではないか、と検討されています。

https://www.sankei.com/ life/news/200923/lif2009230004-n1 日本の公財政支出に占める教育支出が、他の先進諸国と比較して非常に低いことはよく知られています。こどもが少なくなってしまった日本では、ほっておくと、どうしても高齢者への支出が増えてしまいます。ここで改めて、学校教育やこどものために、国がもっとお金を使うことを考えるのは悪いことではないでしょう。

https://project.nikkeibp.co.jp/ pc/atcl/19/06/21/00003/091400129

でも、学級規模縮小は優先事項なのでしょうか。

例えば、1クラスの人数を減らすことで三密を避けるといいますが、本当に今の学校は、感染拡大を防げないぐらい密なのでしょうか。そしてそれは、教員を増やさなければならないぐらい、今後、長期間にわたり重要なことなのでしょうか。

多くの自治体で5月に学校が再開したときに、文科省のガイドラインに従って、学校では多くのこどもが手を触れる場所(ドアノブ・スイッチなど)を1日1回以上アルコール消毒することが必要とされました。同様に、多くの学校では机や椅子などもアルコール消毒を行っていました。それは「コロナの感染拡大を防ぐため」だったはずです。

https://www.mext.go.jp/ content/ 20200406-mxt_kouhou01-000004520_4.pdf

でも最近ガイドラインが変わり、過度な消毒は不要、またアルコールではなく通常の洗剤による消毒が主となりました。コロナの感染の仕組みや確率は、まだよく分からないことが多いことを示しています。

https://www.mext.go.jp/ content/ 20200903-mxt_kouhou01-000004520_1.pdf

少人数学級にするとどの程度コロナにかからなくなるのか、まだ誰もよく知らない、というのが実情ではないでしょうか。 机をアルコール消毒するかどうかであれば、「必要ない」と分かった時点でやめればよい。たいしたことはないです。しかし、雇用をいったん増やすと、公務員の世界では減らすことができません。

それに、教員を急に増やそうとすると、採用倍率が下がり、先生の質が下がります。近年特に、小学校教員の採用倍率は低く、一部の自治体では2を切っています。コロナによる雇用不安がどうなるかによりますが、これ以上倍率が下がることは好ましいとはいえません。

https://www.mext.go.jp/ content/ 20191223-mxt_000003296_222.pdf

近年、筆者の研究を初めとして、学級規模がこどもの学力や行動に与える影響についての研究の蓄積が増えてきました。筆者らの研究では、学級規模縮小はこどもの学力に一部効果はあるものの、その効果は非常に大きいとは言えず、かつ効果があるのは比較的条件のよい学校であることがわかりました。

https://synodos.jp/education/12530

それらを踏まえると、「コロナの密をさける」という理由での学級の少人数化は、優先して実施すべき政策とは言えないと感じます。

少人数学級にデメリットはない?

でも次のような意見もあるでしょう。

「少人数になって、先生の目が行き届くのは事実でしょう? こどもが多いより少ない方が、感染が減るのも確かでしょう? つまり、悪いことは何一つないでしょう? それなら反対する理由はないのでは?」

ネット上のコメントでも、そのような声はよく見ます。しかし、そこが最大の問題です。天からお金が降ってくる政策に対しては、それがベストの方法かどうかに関わらず、反対しにくいのです。このような政策に対しては、保護者の目線ではなく、政策全体を見渡した視点で考える必要があります。

「いや、教員の国の補助は費用全体の3分の1で、実際には自治体がかなり自腹を切るから、少なくとも地域全体の目線で考えているのでは」という反論があるかもしれません。でも、国が決めると「教員を増やさなければならない」わけですから、自治体の財政によっては、他の支出や人件費を減らす必要が出てくるでしょう。それでも「国が決めたことなので」「もらえるものはもらっておこう」、となるでしょう。

誰もが、スーパーで、10%引き、20%引き、といった値札につられて、不要な物を買ってしまった記憶があるはずです。これが、特定の費目に対する補助の恐ろしいところです。補助金があると、本当に必要なものがわからなくなるのです。

学校教育では教員がすべてではない

実際、コロナ下の課題を解決するために自腹を切るのであれば、教員増ではなく、他のことに使いたいと考える自治体もあるでしょう。

GIGAスクール構想で、こども1人1台あたりのITC機器やネット環境の整備に補助金がつきました。今は一刻も早く学校のオンライン学習環境を整える必要がありますが、現状、地域により学校でのITC整備率に大きな差があります。それぞれニーズが異なる状況で、補助金が効率的に活用されているか、気になるところです。

https://www.mext.go.jp/ content/ 20200527-mxt_jogai02-000003278_520.pdf

教員配置にも同じことが言えます。 教育界や政府は、なぜかいまだに、教員の数、学級規模に拘わっています。その発想は、黒板と教科書、そして先生がいれば良い教育が行えた時代のなごりでしょう。しかし、今の教育政策は、教員の数について神聖視しすぎと感じます。未来の学校教育では、オンラインでの教材や家庭の学習を支えるリモートシステムが重要になるはずです。それを踏まえると、教育政策は教員の数だけを特別扱いすることはやめ、すべての政府補助を学校教育のためであれば自由に使える補助金とし、一定比率で自治体の支出とマッチした上で、あとは、最低限の基準さえ確保していれば自由に使ってもらえばよいのではないでしょうか。

折しも、文科省は、学校と保護者との連絡で用いる押印を省略し、連絡のデジタル化を進めるよう通知を出しました。わら半紙で印刷される学校の配布物の膨大さを考えると、このような政策を地に足のついた形で進めることで、学校現場の負担はかなり削減されるでしょう。

https://www.nikkei.com/ article/ DGXMZO65206450Q0A021C2CE0000

教員は、学校教育の根幹です。しかしそれがすべてではありません。国・自治体の教育支出の拡充については、これまでのやり方や常識にとらわれることなく柔軟に行われてしかるべきだと思います。

 

※ここに記す内容は所属団体と離れ、赤林英夫教授個人の見解であることをご承知おきください(ヒューモニー編集部)。

 

連載第2回「コスパで考える大学入試」(1121日掲載予定)

鍋田吉郎(ライター・漫画原作者)

なべた・よしお。1987年東京大学法学部卒。日本債券信用銀行入行。退行後、フリーランス・ライターとして雑誌への寄稿、単行本の執筆・構成編集、漫画原作に携わる。取材・執筆分野は、政治、経済、ビジネス、法律、社会問題からアウトドア、芸能、スポーツ、文化まで広範囲にわたる。地方創生のアドバイザー、奨学金財団の選考委員も務める。主な著書・漫画原作は『稲盛和夫「仕事は楽しく」』(小学館)、『コンデ・コマ』(小学館ヤングサンデー全17巻)、『現在官僚系もふ』(小学館ビックコミックスピリッツ全8巻)、『学習まんが 日本の歴史』(集英社)など。

■ヒューモニー特別連載4 コスパで測るコロナ下の学校教育と大学受験

 
レイアウト/本間デザイン事務所

筆者

赤林英夫(あかばやし・ひでお)

慶應義塾大学経済学部教授
同経済研究所こどもの機会均等研究センター(CREOC)センター長
株式会社ガッコム創業者・代表取締役会長

1988年東京大学大学院総合文化研究科終了、1996年シカゴ大学経済学大学院博士課程(Pd.D)。
1988年通商産業省、1995年マイアミ大学ビジネススクール経済学部客員専任講師、1996年世界銀行コンサルタントエコノミストなどを経て現職。
その間、全米経済研究所客員研究員、東大・一橋大・政策研究大学院大学等で客員。主要著書に「学力・心理・家庭背景の経済分析」(2016年。直井道生・敷島千鶴との共編著)。
教育の経済学、家族の経済学、行動経済学、経済政策を専門とし、全国の子どものサンプルを追跡する「日本子どもパネル調査」の実施を主導。
現在、経済・財政一体改革推進委員会に設置されている「経済社会の活力ワーキンググループ」の委員を務める。