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ニューノーマル時代の大学

ヒューモニー特別連載2

第8回 欧米の大学で今何が起こっているのか?②

2020年08月28日 掲載

筆者 渡邊隆彦(わたなべ・たかひこ)  

リモート授業によって可視化した「授業の質」や「学生の意識」の問題とは? 米英の大学人と渡邊隆彦准教授の鼎談後編。

米英の大学では、コロナ禍における授業のリモート化でどのような苦労があったのか――前回はニューヨーク大学の小出昌平氏、ロンドン大学の成田かりん氏に、おもに情報通信インフラなどハード面での苦労を伺いました(第7回参照)。

しかし、リモート授業で可視化した問題はハード面だけではありません。今回は授業の質(=教員の質)、学生のマインドセッティング(心構え、価値観)をテーマにおふたりと意見を交換し、今後の大学像に迫りたいと思います。

小出昌平 (こいで・しょうへい):ニューヨーク大学医学部生物化学分子薬理学科教授。パールムターがんセンターのコアメンバーでもある。

成田かりん(なりた・かりん):ロンドン大学クイーン・メリー校政治学博士後期課程・指導助手。

*   *   *

渡邊 春学期が終わって、日本の学生はリモート授業に対して大きく2つの不満を抱いたようです。

①一部授業の質の低さ

②課題の多さ

この2つです。①についてとくに槍玉にあがったのは、「今日は教科書の○ページを読んでください」とだけ指示し、あとは課題レポートを要求する授業や、90分授業なのに30分程度の動画を配信するだけの授業などです。ビフォー・コロナにも手抜き授業はあったと思いますが、対面授業ではその場の勢いでごまかせていたのかもしれません。しかし、リモート授業が始まって、手抜きが可視化してしまいました。一方で、凝った工夫をして評判のいい授業もあります。日本では授業のリモート化によって、授業の質の二極化がより進んだのかもしれませんが、このあたりについてアメリカやイギリスではどのような状況でしょうか?

小出 そもそもの前提としてコロナ以前から学期末にエバリュエーション(事後評価。オンライン・無記名で学生が授業を評価する)があり、このシステムが授業の質の維持・向上に効いていました。

East Riverを走るフェリーから見たNYU医学部のキャンパス。右端にEmpire State Building。©︎S.Koide

アメリカの大学、とくに学部生の授業は、教授ではなくレクチャラーといわれる短期雇用の教員が行うことが増えています。商業主義が大学にも広がってきているとも言えるのですが、教授を雇うとコストがかかるので、それを減らしてレクチャラーに置き換える傾向があるからです。とくに研究に重点を置かないタイプの大学では顕著です。レクチャラーはエバリュエーションが悪いと次の学期から雇ってもらえない可能性があるので、必死で授業します。逆に、エバリュエーションで高評価を得ると、いい条件で転職できることもあります。

大学サイドからすれば、エバリュエーションが低い授業が多いと大学自体の評判が落ちてしまうので、評価の悪い授業はレクチャラーを変える、教授なら授業方法を学ぶコースを受講させる、あるいは授業自体をなくすといった対応を取ることになります。

成田 イギリスも徐々にアメリカのようになってきています。Teaching Excellence Frameworkといって、学期末に学生にとったアンケートを用いて政府が大学の質を評価するシステムが新しくできました。

ロックダウン中のロンドン大学クイーン・メリー校。普段は学生で賑わっているマイル・エンドキャンパス図書館広場。

 

渡邊 日本の大学でも教員に対するエバリュエーションは行われているのですが、それがいまひとつ活かされていないのが実情だと思います。教員本人に結果をフィードバックするだけで終わってしまい、その後の改善状況をフォローするシステムがないため、授業のクオリティ担保にうまく繋がっていない点は、日本の多くの大学が抱える構造的な問題かもしれません。

 

また、日本で手抜き授業が消えないもう一つの理由として、楽に単位が取れる「らくたん」を巡る問題があります。手抜き授業がされている講義はえてして、非常に楽に単位が取れてしまうんです。すると、授業のクオリティが低いとわかっていながらも、履修登録人数が膨れ上がる”人気”講義になる。結果、そういう講義が温存されてしまうという状況になっています。これは学生側のマインドセットの問題でもあるわけですが…。アメリカやイギリスの学生はどうですか?

小出 アメリカでは学費が高いから、「元を取らなきゃ」という意識が学生にもあるように感じます。アイビーリーグだと年間に60,000ドル(約630万円)とかしますし、それにさらに生活費を加えると非常に大きな出費になりますからね。

徒歩で帰宅途中、国連本部の前。コロナ前は、集会や観光客でいつも賑わっていた。©︎S.Koide

成田 イギリスでもアメリカほどではないけれど、やはり「元を取らなきゃ」の意識は学生にはあると思います。

それと、イングランドの文系・社会科学系の学部は3年間で、専攻を決めて入学するので、日本やアメリカのように自分の専攻と関係のない単位を取ることはほとんどありません。取らなければいけない単位がしっかり決まっていて選択の幅が狭いから、仮に「らくたん」があっても専攻以外なら取らないでしょう。

小出 ただ、「らくたん」は、日本の学生のマインドセットだけの問題ではないようにも思えます。日本の大学って、基本的には「入学試験をする機関」として見られていませんか? たとえば東大生でも、「難しい試験に合格してすごい」と評価されるけれど、その後大学でどういう教育を受けたかはほとんど聞かれません。企業は、「大学入試に合格した学生は賢いはずだから、ウチの会社に入ってから再教育すればいいや」と思っているのではないでしょうか。大学在学中に何をしていたかを誰も評価してくれないのだったら、「らくたん」を取って遊ぼう――若者は敏感ですから、そう思うのも無理はありません。

 

渡邊 たしかに、社会や企業が「大学4年間で何を学んだの?」「大学で何を身につけたの?」と問わないのは問題ですよね。裏返せば、大学での教育は日本の企業から何も期待されていないということになりますが…。

もうひとつの日本の学生の不満、②の課題の多さについても考えたいと思います。リモート授業でハッスルし過ぎた教員が多かったためなのか、ビフォー・コロナの対面授業の時に比べて課題が激増してしまい、学生から、「パンクしそうだ」と悲鳴が上がっています。

一方、私の2年間の留学経験からすると、アメリカの大学院では読まなければいけない資料、書かなければいけないレポートは膨大なのが当たり前でした。日本のビフォー・コロナの大学が甘すぎたとも言えると思いますがいかがでしょう?

小出 アメリカの大学は、一般的に課題は多いと思います。「課題をもっとチャレンジングにしてください」と学生のほうからリクエストされたこともあるぐらいで、たぶん彼らは大学をトレーニング機関みたいなものだと理解している。「知力を鍛えるためにここにいるんだ」というようにです。

逆に、日本の子供は小学校から高校までアメリカ人からすると信じられないぐらい勉強をします。ですから、大学入学時の基礎学力は既にとても高いと思います。しかし、ある意味大学合格がゴールで、「大学に入ったら夢のような生活があるから今は頑張ろう」と思ってやっているわけです。それなのに、今年いきなり大量に課題が出るようになってしまった。「話が違うじゃないか」と不満に思う気持ちもわからなくはありません。

 

渡邊 先ほどの企業との関係性と同様、大学のあり方には小中高もリンクしてくる。大学単体ではなく社会全体の構造をとらえていく必要があると思います。

ただいろいろな背景があるにせよ、日本の学生のほとんどは受け身で、大学は「教えてもらうところ」だと思っているように感じます。「らくたん」が象徴的ですが、卒業証書をもらえればそれでいいと考えているふしがある。しかし、卒業証書=学歴を与える機能は、大学が学生に提供する機能の一部でしかありません。私は、大学には「大学という場を通じて学生の自己形成を促すさまざまな機能」があると考えています。前回小出さんが語ったアメリカの大学のドミトリー文化、成田さんがあげたイギリスの大学のシェアハウス文化、あるいは学生街やキャンパスの芝生の上で友人と語り合う時間…(第7回参照)。

ところが、ウィズ・コロナの今、このような「場」が喪失してしまいました。では、今後の大学はどうなっていくのでしょうか?

小出 いままでは、ひとつの大学は地理的にひとつのコミュニティとしてまとまってきましたが、オンライン授業が当たり前になったいま、ニューヨーク大学の学生がロンドン大学の授業を聴くことも技術的には可能となりました。だとすると、現在のように同じ内容の授業を各大学ばらばらにやる必要がなくなり、世界大学のようなものが生まれるかもしれません。一方で、ケンブリッジに行かなければ得られないといった「場」の機能は残るでしょう。大学は二極化するのではないかと思います。

成田 私も、いま失われているフィジカルな部分――対面授業だけではなく、友人・仲間を作ったり、人脈を増やしたりするのも含めたキャンパスでしかできないことを重視する方向と、リモートを活用する方向に二極化すると思います。

ロンドン大学クイーン・メリー校シンボルの時計台。

リモートの活用でいえば、すでに社会に出ているけれどもう1度学びたいとか、仕事をしながら大学で勉強したいというような方にとって、アクセスしやすくなるのではないでしょうか。

渡邊 フィジカルなキャンパスが得意なジャンルとオンラインが得意なジャンルがあるわけですから、それぞれをフレキシブルに組み合わせて新しい大学が生まれる――コロナ禍を奇貨として、大学を良い方向に変えていきたいですね。今日はどうもありがとうございました。

*   *   *

授業のリモート化は、日本の大学にとっての「不都合な真実」をあぶり出しました。その一つが「質の低い授業」や「手抜き授業」の問題だと思います。

私は寄席が好きなのですが、下手な落語家の噺は、リアルな寄席であればさほど苦になりませんが、ネットでわざわざ見る気はおきません。これと同じことがリモート授業に対する学生の態度にも表れているのでしょうが、大学としてはむしろこの動きを歓迎すべきなのでは、と思います。これを機に、エバリュエーション・システムをうまく機能させ、大学講義全般の質の改善や、カリキュラム全体の新陳代謝に繋げることが可能なのではないでしょうか。

一方で…。じつは、私の個人的意見としては、カリキュラムの中には「手抜き授業」や「らくたん」があっても良い、と思っています(もちろん、程度問題ですが)。お刺身盛り合わせは「つま」がないと途中で食べ飽きます。寄席にしても、最初から最後までテンションの高い出し物ばかりでは疲れてしまいます。途中の「つまらない落語」の時間に、いなり寿司をつまみながらプログラムを読み返し、「おっ、次の次がナイツの漫才か」などと再確認するのも楽しいものです。

同様に、1日の授業の中に「抜けた感じの授業」、「あそびの部分」があることで、学生も息が詰まることなく、カリキュラムをこなせるのではないでしょうか。学生時代に受けた授業で私がまっさきに思い出すのも、朽ち木のような老教員が、自分の教科書をよく聞こえない声でボソボソとしゃべっており、周囲の学生の多くが机に突っ伏して眠るなか、「この先生は何を考えているのだろうか、どんな人生を送っているのだろうか」「俺だったらこんな風に教えるのにな」などと思いを巡らせながら、窓の外でアゲハチョウが躍るのをボンヤリ見ていた初夏の風景です。「抜け」や「あそび」の存在が、カリキュラム全体に温かみや潤いを与えるのだと思います(むろん程度問題です。「つま」のほうが多い刺身盛り合わせを出したら、客から詐欺だと言われます)。

しかし、このいささか牧歌的な私の意見も、リアルな世界ならでは、です。インターネットの世界では、私も“朽ち木先生”の授業は「5倍速で早送り」してしまうでしょう。これは、ネットによるリモートの世界は、高い効率性(これは行き過ぎれば息詰まり感を引き起こします)を実現するのは得意だが、「あそび」の部分を作るのが苦手だ、ということを意味します。

今回の小出さん・成田さんとの鼎談を通じて、私自身、大学に対する考え方を改めて整理することができました。次回は、リアルなフィジカルの世界とネットによるリモートの世界それぞれが得意なことと苦手なことを踏まえながら、「ウィズ・コロナ時代の大学像」について掘り下げたいと思います。(構成/鍋田吉郎)

*大学と一口に言っても、実験や実習が欠かせない工学系・医薬系や、実技が不可欠の体育系・芸術系、また人文科学系でもフィールドワークが必須の分野など、事情は様々です。本稿は、講義とゼミナールを主軸に置く人文科学系の教員から視たものとご理解ください(筆者より)。

*ここに記す内容は渡邊氏、小出氏、成田氏各個人の見解であり、それぞれの所属する組織としての見解を示すものではないことをご承知おきください(ヒューモニー編集部)。

連載第9回「ニューノーマル時代の大学像」(94日掲載予定)

鍋田吉郎(ライター・漫画原作者)

なべた・よしお。1987年東京大学法学部卒。日本債券信用銀行入行。退行後、フリーランス・ライターとして雑誌への寄稿、単行本の執筆・構成編集、漫画原作に携わる。取材・執筆分野は、政治、経済、ビジネス、法律、社会問題からアウトドア、芸能、スポーツ、文化まで広範囲にわたる。地方創生のアドバイザー、奨学金財団の選考委員も務める。主な著書・漫画原作は『稲盛和夫「仕事は楽しく」』(小学館)、『コンデ・コマ』(小学館ヤングサンデー全17巻)、『現在官僚系もふ』(小学館ビックコミックスピリッツ全8巻)、『学習まんが 日本の歴史』(集英社)など。

■ヒューモニー特別連載2 ニューノーマル時代の大学

写真/ 小出昌平、成田かりん、渡邊隆彦、ヒューモニー
レイアウト/本間デザイン事務所

筆者

渡邊隆彦(わたなべ・たかひこ)

専修大学商学部 准教授

1986年東京大学工学部計数工学科卒、92年MIT経営大学院修了。三菱UFJ銀行(現)にてプロジェクトファイナンス、デリバティブ開発・トレーディング、金融制度改革、投資銀行戦略、シンジケートローン業務企画、IFRS移行プロジェクト等を担当後、三菱UFJフィナンシャル・グループ コンプライアンス統括部長、国際企画部部長を歴任。2013年4月より専修大学にて教鞭を執る。専門は国際金融、企業ガバナンス・コンプライアンス、金融規制・制度論、ファイナンス論、金融教育。国際通貨研究所客員研究員。