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ポストコロナのIT・未来予想図

ヒューモニー特別連載3

第13回 デジタル化は成長を高めるか

2020年12月09日 掲載

筆者 山岡浩巳(やまおか・ひろみ)  

世界的にデジタル技術革新が大きく進んでいると言われる割には、世界の成長率が高まっているように見えない。このパラドックスを巡る議論について、元日銀局長の山岡浩巳氏が解説する。

今はデジタル・トランスフォーメーション(DX)の時代と言われます。確かに、デジタル技術革新は急速に進んでおり、その影響は全世界的に及んでいます。

例えば、iPhoneやKindleの登場は2007年、今や当たり前のように使われているフェイスブックの「いいね!」ボタンの登場は2009年、インスタグラムの登場は2010年のことです。すなわち、現在の人々が日常使っているデバイスやデジタル媒体の多くは、ほんの約10年前に現れたばかりのものです。

この10年で世界は大きく変わりました。例えば、中国のWeChatPayの登場は2013年ですが、現在までにユーザー数を約10億人まで増加させ、ユーザー数では世界最大の決済インフラになりました。中国ではわずか7年の間に、10億人の人々が新たにスマートフォン経由で金融サービスを使えるようになったわけです。人々の金融サービスへのアクセス促進を「金融包摂(financial inclusion)」と言いますが、過去10年間、新興国や途上国も含め、世界中で金融包摂が急速に進んだことになります。

同様に、アマゾンなどのネットショッピング、ビジネスにおけるアプリの利用、さらに最近ではリモート会議のためのツールの活用なども、大幅に拡大しています。これらのデジタル技術は、さまざまな面で経済活動の効率化に結び付いているはずです。身近な例では、スマ―トフォンの地図アプリの普及により、道に迷う人々は大幅に減っているはずで、これにより、経済における「デッドウエイトロス」(死荷重:効率的な資源配分がなされていない時に生じる社会全体の経済的損失)も減少していると考えるのが自然でしょう。

世界成長率はデジタル化で高まったか?

しかしながら、マクロのデータでは、近年、世界の成長率が顕著に高まっているようには見えません。

世界の成長率IMFによる(2020年は見通し)

「情報技術革新の急速な進行」「世界のDX」などと喧伝される一方、それがマクロの経済成長に反映されていないのは奇妙に見え、経済論壇でも多くの議論が行われています。ここで出される仮説は、おおむね以下の4つに分けられるように思います。

まず、現在の情報技術革新自体、18世紀後半の産業革命などに比べれば、その経済へのインパクトが大きくないのではないか、という見解です。

次に、技術革新が現実の成長に結び付くまでにはタイムラグがあり、現在はそのタイムラグの時期にある、という見方です。

3つ目に、情報技術革新の成果は、ディスインフレなどの形である程度現れている、という見方です。実際、デジタル化はさまざまなコストの削減につながりますし、データ処理のコストは急激に低下しています。また、各種のデジタルデバイス(スマートフォン等)の価格は、品質向上分を考慮すれば劇的に低下しているといえます。現在、世界中で大規模な金融緩和が行われているのにインフレにならない背景には、このような価格低下圧力が働いているとの見方です。もちろん、それによって実質ベースでの成長はある程度高まるはずですが、それでもこの程度の成長にとどまっている背景には、労働人口の伸び率の鈍化など、他の要因が寄与していることが考えられます。

最後に、情報技術革新の果実を、GDPなどを通じて測ること自体が難しく、マクロ統計ではその効果を十分に捕捉できていないのではないかという説です。例えば、銀行がスマホアプリの品質向上を通じて顧客サービスを向上させる一方、支店やATMの数を減らすデジタル化戦略を採る場合、顧客の支払う手数料が変わらない中では、アプリの品質向上をGDPで把握することは難しく、一方で、支店やATMなど固定資産への投資の減少は、そのまま設備投資の減少として計上されるかもしれません。

今日の段階で、これらの論争に決着がついているわけではありませんが、現実には、これらの現象が混じり合っていると見ておくのが適当でしょう。

成長は「当たり前」ではない

過去の世界成長の歴史をみると、長らくの間、「一人当たりGDP」ではほとんど成長のない時代が続きました。そして、18世紀後半の産業革命を経て、19世紀以降、グローバル化と共に、一人当たりGDPの飛躍的な伸びが始まり、今に至っています。すなわち、経済成長が常態化したのは、人類史の中でみれば、近年のごく短期間のことなのです。

紀元1,000年以降の世界の一人当たり成長率出典:J. Bradford De Long, “Estimates of World GDP, One Million B.C. –Present”
(1998)

したがって、我々が慣れ親しんでいる世界経済のプラス成長も、実際には近年の絶え間ない技術革新に支えられてきています。現在の情報技術革新もその一つと捉えるべきであり、技術革新の果実を取り込む不断の取り組みを続けないと、プラス成長自体、維持していくことが難しくなります。

また、個別の国ごとにみると、「DX先進国」と呼ばれる北欧のデンマーク、スウェーデン、エストニアなどは、近年、相対的に高い成長を、しかも健全財政を維持しながら実現しています。この背景としては、この連載で最初に紹介したエストニアの例が示すように(第1回第2回参照)、これらの国々がデジタル技術を行政事務の効率化のために積極的に活用し、「ワイズ・スペンディング」(賢い支出)を実現してきたことが挙げられます。

一人当たりGDP(単位:米ドル)出典:世界銀行

財政収支対潜在GDP比率(単位:%)出典:IMF(2020年は予測)

これらのデータを踏まえても、デジタル化への取り組みは、近代以降のプラスの成長基調を維持するためにも、また、日本経済のパフォーマンスを他国に劣後させないためにも、やはり必要不可欠といえます。

同時に、デジタル化によって成長率が現状よりも顕著に上がるといった証左が得られていない中、「デジタル化が進んだ暁には成長率が上がるから」等、「取らぬ狸の皮算用」の口実としてデジタル化が使われることのないよう、気をつけなければいけません。デジタル化の経済効果は、これを経済活動や行政事務などに応用する取り組みを地道に積み重ね、効率化とワイズ・スペンディングを実現していくことで得られるものです。このことは、北欧諸国の経験も如実に示しています。

 

連載第14回「デジタル・デバイドをどう防ぐか」(12月16日掲載予定)

■ヒューモニー特別連載3 ポストコロナのIT・未来予想図

写真/ 山岡浩巳
レイアウト/本間デザイン事務所

筆者

山岡浩巳(やまおか・ひろみ)

フューチャー株式会社取締役
フューチャー経済・金融研究所長

1986年東京大学法学部卒。1990年カリフォルニア大学バークレー校法律学大学院卒(LL.M)。米国ニューヨーク州弁護士。
国際通貨基金日本理事代理(2007年)、バーゼル銀行監督委員会委員(2012年)、日本銀行金融市場局長(2013年)、同・決済機構局長(2015年)などを経て現職。この間、国際決済銀行・市場委員会委員、同・決済市場インフラ委員会委員、東京都・国際金融都市東京のあり方懇談会委員、同「Society5.0」社会実装モデルのあり方検討会委員などを歴任。主要著書は「国際金融都市・東京」(小池百合子氏らと共著)、「情報技術革新・データ革命と中央銀行デジタル通貨」(柳川範之氏と共著)、「金融の未来」、「デジタル化する世界と金融」(中曽宏氏らと共著)など。