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ポストコロナのIT・未来予想図

ヒューモニー特別連載3

第71回 北京オリンピックでのデジタル通貨

2022年02月09日 掲載

筆者 山岡浩巳(やまおか・ひろみ)  

開催中の北京冬季オリンピックでは、その中で実験されているデジタル人民元にも注目が集まっている。オリンピックの場を実験に選んだ意図や背景について、元日銀局長の山岡浩巳氏が考察する。

中国が実験を進めている中央銀行デジタル通貨「デジタル人民元(e-CNY)」は、2020年4月に国内での実験を開始した段階から、2022年2月の北京冬季五輪会場で試験的に流通させるとアナウンスしていました(第6回第48回参照)。中国人民銀行(中央銀行)は2019年から、デジタル人民元を五輪で試験的に流通させるための特別チームを行内に設け、準備を進めていました。中国当局が五輪について、中国のハイテクへの取り組みを世界に示す場としても大いに期待していたことがわかります。 とはいえ、デジタル人民元の試験が開始してからずっと、世界は新型コロナウイルスの影響を受け続けてきました(私も2年以上中国に行けていません)。オミクロン株の感染拡大の中、北京冬季五輪についても、海外からの観客が来られなくなったことは、当局も残念だろうと思います。とはいえ、五輪には選手団や関係者に加え、報道陣も世界中から訪れますので、なお宣伝効果はあるでしょう。

北京首都国際空港

これまで、デジタル人民元の試験発行用のウォレットアプリは、民間企業が発行するものが使われていました。しかし、北京五輪を控えた本年1月、中国人民銀行は自ら、試験版のウォレットアプリの提供も始めています(なお、このアプリをダウンロードするには、デジタル人民元の試験発行が行われる地域にいる必要がなります)。

非居住者用サービスの実験

このように中国当局が、五輪をデジタル人民元の実験場に選んだ背景には、宣伝効果に加え、いくつかの理由が考えられます。

まず、旅行者など、非居住者が利用する機会としての期待です。

デジタル人民元を有効に機能させていく上では、国内の人々だけでなく、海外観光客なども使えるようにしていくことが課題となります。しかし、これまでのデジタル人民元の実験は、もっぱら国内都市で中国の人々を対象に行われてきており、海外の人々を対象とする実験の機会がありませんでした。

デジタル人民元は、既に発行されているバハマの「サンド・ダラー」(第21回参照)などと同様に、ウォレットの種類を分け、大口取引用には本人確認やマネーロンダリング対応などを厳しく求める一方で、少額取引用に限定されたウォレットについては本人確認などを緩くすることを想定しています。例えば、海外からの旅行者が短期間、中国内を旅行するために少額の現金をデジタル人民元に換えるような場合、現金はもともと匿名ですので、ここで本人確認などを厳格に求める必要性は低く、むしろ積極的に中国内で消費をして欲しいわけです。デジタル人民元がこのような機能を果たせるかどうかを検証する上で、五輪は格好の機会となります。

支払手段をデジタル人民元とVisaに限定

また、中国の人々は既に、巨大企業であるアリババグループやテンセントグループが提供する、AlipayやWeChat Payなどのデジタル決済サービスを日常的に利用しています。このように、既に広範なサービスを展開している巨大企業が提供する決済サービスに比べ、デジタル人民元が提供できるサービスの範囲は、どうしても基本的な支払いや送金などに限られます。

広範なサービスを網羅したアリペイのアプリ©︎Ant Group

したがって、都市での実験では、AlipayやWeChat Payを使うのをやめさせてまで無理にデジタル人民元を使わせるわけにはいきません。そんなことをすれば、むしろ人々からの不満が出てしまいます。また、デジタル人民元のためだけに、わざわざ新しい店を作るわけにもいきません。結局、既にAlipayやWeChat Payの読み取り端末を置いている店舗に、追加的にデジタル人民元の読み取り端末も置いてもらう形にならざるを得ません。

この点、北京冬季五輪では、もちろんオリンピックのオフィシャルスポンサーであるVisaのカードは使えるようにしなければいけませんが、それ以外の支払手段を現金とデジタル人民元だけに絞る形での実験が可能になります。すなわち、「デジタル人民元限定」の店舗を新たに作ることができるわけです。

 多様なサービスとの組み合わせ

中国当局はかねてから、北京冬季五輪の場を活用し、デジタル人民元に関連するさまざまなサービスをあわせて実験する意向を表明していました。2021年7月に中国人民銀行が公表した報告書(“Progress of Research & Development of E-CNY in China”)では、デジタル人民元の試験的流通にあわせて、会場には無人のスーパーマーケットや販売カートを設置する計画を明らかにしていました。また、オリンピックのユニフォームやグローブ、バッジなどの中にデジタル人民元の支払機能を組み込むことで、商品を手に取って店を出れば自動的に支払いも完了するといった機能を実験する意向を表明していました。

このように、都市の既存のインフラを活用するのとは異なり、五輪は、新しいインフラをゼロから作って実験ができる、貴重な機会となるわけです。

北京冬季五輪におけるデジタル人民元の利用体験については、今後もさまざまな報道がなされると思います。この中で、「ハイテク」「便利」といった表面的な報道だけでなく、その課題や民間サービスとの比較も踏まえた短所なども含め、冷静な分析や評価がきちんと行われるかどうかも含め、注目してみていきたいと思います。

 

連載第72回「リブラの撤退」(2月16日掲載予定)

■ヒューモニー特別連載3 ポストコロナのIT・未来予想図

写真/ 山岡浩巳
レイアウト/本間デザイン事務所

筆者

山岡浩巳(やまおか・ひろみ)

フューチャー株式会社取締役
フューチャー経済・金融研究所長

1986年東京大学法学部卒。1990年カリフォルニア大学バークレー校法律学大学院卒(LL.M)。米国ニューヨーク州弁護士。
国際通貨基金日本理事代理(2007年)、バーゼル銀行監督委員会委員(2012年)、日本銀行金融市場局長(2013年)、同・決済機構局長(2015年)などを経て現職。この間、国際決済銀行・市場委員会委員、同・決済市場インフラ委員会委員、東京都・国際金融都市東京のあり方懇談会委員、同「Society5.0」社会実装モデルのあり方検討会委員などを歴任。主要著書は「国際金融都市・東京」(小池百合子氏らと共著)、「情報技術革新・データ革命と中央銀行デジタル通貨」(柳川範之氏と共著)、「金融の未来」、「デジタル化する世界と金融」(中曽宏氏らと共著)など。