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ポストコロナのIT・未来予想図

ヒューモニー特別連載3

第72回 リブラの撤退

2022年02月16日 掲載

筆者 山岡浩巳(やまおか・ひろみ)  

フェイスブック(メタ)は、これまで主導していたステーブルコイン「リブラ」(現「ディエム」)の計画から撤退する旨公表した。この背景について、元日銀局長の山岡浩巳氏が考察する。

2019年6月、フェイスブック社(現メタ社)が主導する形で計画が公表されたステーブルコイン「リブラ」は、世界中の注目を集めました(第9回第15回第37回参照)。その後のG20やG7などの国際会議でも、リブラへの対応が主要なテーマとなりました。

リブラへの各国当局の警戒

リブラの大きな特徴は、以下の二つです。一つは、複数の先進国通貨建ての安全資産(短期国債など)を裏付けとすることで、通貨バスケットに対する価値を安定させようとしたことです。これにより、新興国や途上国の人々も含め、広範な人々が安価な国際送金手段として利用できることを狙ったわけです。もう一つは、20億人以上のユーザーを抱えるフェイスブックが主導したことです。これによりリブラは、「本当に支払決済に広く使われるかもしれない」と注目を集めました。

各国当局はリブラへの警戒の理由として、マネーローンダリングの抜け道として使われる可能性など、さまざまなものを挙げました。しかし、最大の懸念は、リブラが複数の先進国通貨建て資産を裏付けとする点にあったと思われます。フェイスブックのユーザーは新興国や途上国にも多数存在しますが、これらの国々の通貨の中には必ずしも信認が十分でないものがあります。そうした国々では、海外送金だけでなく国内の取引でも、自国通貨の代わりにリブラが使われる可能性が考えられます。そうなると、リブラを通じて、実質的に自国通貨から先進国通貨への資金流出が起こりかねません。

実際、その後のG20の議論では、リブラのようなステーブルコインを、他のステーブルコインと区別して「グローバル・ステーブルコイン」と呼び、とりわけ監視を強化する姿勢が打ち出されました。

「グローバル・ステーブルコイン」に関するG20公表文書©︎G20

「グローバル」から「ドメスティック」へ

このような各国当局の強い警戒的スタンスに直面し、フェイスブックは徐々に、リブラの「グローバル」の旗印を下ろし、「ドメスティック」化する方向へと舵を切ってきました。

2020年春、リブラは米ドルをはじめ単独通貨建ての安全資産を裏付けとするものも発行していく方針であると表明しました。また、古代ローマの通貨単位に由来する「リブラ(Libra)」という名称も、各国の警戒感を招いたことを受けて「ディエム(Diem)」へと改称しました。さらに、当初リブラの発行体となることが想定されていた「リブラ協会(Libra Association)」はスイスに置かれていましたが、ディエムの発行体となる予定の「ディエム協会(Diem Association)」は米国に置かれ、米国の規制に従う姿勢を明らかにしました。加えて、米ドル建てのディエムの発行については、米国の民間銀行であるシルバーゲート銀行と協調して行っていくとの方針を表明しました。

©︎Diem Association

ディエム協会の撤退

このようにディエム協会は、当初の方針から大きな方針変更を行ったうえで、米国当局との交渉を進めてきました。しかしながら本年1月31日、ディエム協会はディエムに関する知的財産や権利を前述のシルバーゲート銀行に譲渡し、自らはディエムのプロジェクトから撤退すると表明するに至りました。

©︎Diem Association

この公表文書は、ディエムの開発チームが、金融犯罪やマネーローンダリングへの対応を含め、先進的な取り組みを行ってきたと記述しています。また、米国の規制当局者からは、「ディエムは米国政府がこれまで目にした中で最も良く設計されたステーブルコイン計画である(Diem was the best-designed stablecoin project the US Government had seen)」との評価を貰ったことも紹介しています。さらに、「金融市場に関する大統領ワーキンググループ」が公表したステーブルコインに関する報告書の中で、ディエムがこれまで取り組んできた内容が数多く取り入れられたことを歓迎するとも述べています。

一方で、米国の連邦規制当局との議論の結果、ディエム計画をこのまま進めることは難しいことがわかったと率直に語っています。そのうえで、シルバーゲート銀行にプロジェクト自体を売却するのが最善の選択だと述べています。

米国では、裏付け資産を持つことにより米ドル建てでの価値の安定を図るステーブルコインは、“USDC”など既にいくつか発行されています。この中で、ディエム計画をこのまま推進することは難しいと判断されたのはなぜでしょうか。公表文書では詳細は語られていませんが、以下のような事情があったと推察されます。

まず一つは、フェイスブックを運営するメタ社が巨大過ぎ、また、5億人を超える個人データの流出事件など、データの取り扱いに関する評判が最近では芳しくなかったことです。「米ドル建てステーブルコイン」というスキーム自体は決して目新しいものではありませんが、これをメタ社が主導することについては世論がかなり警戒的となり、このことを議会や規制当局も無視できなかったという事情があるでしょう。

また、ステーブルコインに関する最近の規制当局側の議論も影響しているでしょう。

©︎President’s Working Group on Financial Markets

前述の大統領ワーキンググループの報告書では、ステーブルコインについて、一貫した包括的な連邦の監督下に置くべきであると提言しています(agencies recommend that Congress act promptly to ensure that payment stablecoins are subject to appropriate federal prudential oversight on a consistent and comprehensive basis)。このように包括的な対応を求められている中、巨大企業メタ社が主導するステーブルコイン計画にゴーサインを出すわけにいかないという事情があります。一方でメタ社にとっては、ディエム計画のためにメタ社全体が金融機関とみなされ、連邦の金融規制監督下に入る決断は採り難いでしょう。このような情勢を考えれば、ディエム計画が、もともと米国の銀行監督下にあるシルバーゲート銀行に譲渡されたことも頷けます。

メタバースのマネーの姿は?

一方で、メタ社の今後の動きは引き続き注目されます。

フェイスブックは「メタバース」の領域にビジネスをシフトするとの方針を掲げ、社名そのものを「メタ」へと変更した経緯があります(第69回参照)。メタバースで取引されるNFT(Non-Fungible Token)などの新たな資産を取引する上で、旧来型の支払手段を使わなければならないとなると、単にネットゲームをVR機器で楽しむのとあまり変わらないということになりかねません。結局、メタバースを現実世界とは異なる一つの世界として確立し、ビジネスチャンスを拡げる上で、メタバースに対応した支払手段があるかどうかは大きな意味を持ちます。

リブラ計画を進めようとしたメタ社は、デジタル空間における支払手段の重要性を当然認識しているでしょう。今や彼らのビジネスの主な舞台であるメタバースを発展させていく上で、「メタバースでの取引に使う支払手段をどうするか」は中核的な課題です。この分野で今後メタ社がどのような戦略を採るのか、注意してみていきたいと思います。

 

連載第73回「デジタル時代の国際金融都市構想」(2月23日掲載予定)

■ヒューモニー特別連載3 ポストコロナのIT・未来予想図

写真/ 山岡浩巳
レイアウト/本間デザイン事務所

筆者

山岡浩巳(やまおか・ひろみ)

フューチャー株式会社取締役
フューチャー経済・金融研究所長

1986年東京大学法学部卒。1990年カリフォルニア大学バークレー校法律学大学院卒(LL.M)。米国ニューヨーク州弁護士。
国際通貨基金日本理事代理(2007年)、バーゼル銀行監督委員会委員(2012年)、日本銀行金融市場局長(2013年)、同・決済機構局長(2015年)などを経て現職。この間、国際決済銀行・市場委員会委員、同・決済市場インフラ委員会委員、東京都・国際金融都市東京のあり方懇談会委員、同「Society5.0」社会実装モデルのあり方検討会委員などを歴任。主要著書は「国際金融都市・東京」(小池百合子氏らと共著)、「情報技術革新・データ革命と中央銀行デジタル通貨」(柳川範之氏と共著)、「金融の未来」、「デジタル化する世界と金融」(中曽宏氏らと共著)など。