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ポストコロナのIT・未来予想図

ヒューモニー特別連載3

第90回 ITを日本の未来に役立てるために

2022年08月24日 掲載

筆者 山岡浩巳(やまおか・ひろみ)  

優れた技術を持ち、デジタル媒体も普及した先進国である日本で、「デジタル化の遅れ」が政策課題となり続けている。では、その原因はどこにあるのだろうか。元日銀局長の山岡浩巳氏が考察する。

過去の政権同様、岸田政権においても、「日本のデジタル化の遅れ」の問題が指摘され、その克服が政策課題となっています。

しかし、日本は過去、自動車、家電、高速鉄道など、その時々で先進的な技術を搭載した製品を世界に届けてきました。今では人々の間でPCやスマートフォンは広く普及し、少なくとも技術面での劣位は考えにくいようにも思えます。さらに、今や「DX」や「デジタル化」を宣伝文句とするセミナーや講演会が溢れていますし、政治家も皆、選挙でデジタル化の必要性を訴えています。日本の人々のデジタル化への意識が特に低いという訳ではなさそうです。

では、このような日本でなぜ、「デジタル化が遅れている」と言われ続けているのでしょうか。

マニュアル事務や物理的インフラの堅確さ

まず、日本ではもともとマニュアル事務の水準が高く、物理的インフラなどの「レガシー」も大きかったという事情が指摘できます。

私のように30年以上前に米国留学を経験した日本人の中には、米国の小売店店頭での現金のやり取りに時間がかかることにちょっと驚かれた方も多かったのではないでしょうか。私も、日本の店員さんたちが複雑な小銭のやり取りを瞬時にこなすレベルの高さを再認識しました。もっとも、その後米国のレジでは釣銭の自動支払機が一気に普及し、さらにキャッシュレス化やセルフレジ化も急速に進みました。これは、米国においては自動化やキャッシュレス化のメリットがきわめて大きかったからといえます。

これに対し、もともとマニュアル事務の水準が高い日本では、「どうしてもデジタル化しないと困る」という誘因が働きにくく、「いざとなればやはり人海戦術で」という意識が残りやすかった面は否定できません。キャッシュレス化にしても、ATMが広く普及し現金の入手に困らない状況では強いニーズが生まれにくかったといえます。この中で、いろいろなキャッシュレス手段への対応は行われた結果、「使えるキャッシュレス手段の種類は世界的にも珍しいほど多いのに、なお現金が広く使われている」という、日本独特の状況が生じています。このような日本の特質が顕著に表れたのが、2020年に顕在化した、コロナ禍における10万円の給付金の配布でした。マイナンバーが配布に役立ちにくいことが明らかになる中、役所の方々の懸命のマニュアル作業によって給付金は配布できてしまった訳です。当てにしていたデジタルインフラが機能しない中で、マニュアル作業で仕事を間に合わせるなど、海外ではちょっと考えられないことでしょう。

ただ、このことは逆に言えば、デジタル化が「マニュアル対応も残したままの二線での対応となる」、「既存のインフラをスクラップせずに併存させる」という形で行われやすいという、日本の特徴にもつながります。このことは、デジタル化そのものの遅れやコストの拡大、メリットの減少などにつながりやすいと言えます。

企業のスクラップ&ビルド

日本における既存のインフラのスクラップ&ビルドの難しさという風土は、企業政策にも及んでいるように思えます。

新型コロナウイルスの感染拡大当初、米国では、失業率はいったん激しく上昇しました。もっとも、その後労働環境は急速に好転し、失業率は著しく低下しています。このことは、米国ではコロナ禍を機に、転職などによる労働資源の急速な移動と再配分が進んだことを示しています。

米国の失業率(単位:%)注:連邦準備制度理事会「金融政策報告書」(2022年7月)より。

これに対し、日本の失業率はコロナ禍の中でも、米国のような急速な上昇は示していません。これには、日本がコロナ禍の中で、雇用主である企業の存続を重視する政策を採ってきたことがかなり寄与しています。

日本の失業率注:日本銀行「展望レポート」(2022年7月)より。

ただ、逆に言えば、日本では米国でみられたような労働資源の大規模な再配分は起こっていないことになります。
GDPの動向をみると、コロナ禍後の景気回復のテンポは、米国が日本をかなり上回っています。このように、米国における労働資源の再配分が、景気の回復と拡大に寄与している姿が示されていると言えます。

日米欧の実質GDP注:日本銀行作成。

企業は人が作り出したもの

もちろん、望まない失業は起こらないに越したことはありません。しかし同時に、本来進むべき産業の新陳代謝や労働資源の最適配分が阻害され、これによってイノベーションのスピードが遅くなっていないかという視点も重要です。

デジタル化は本質的に、従来の実務や慣行の変革を迫り、既存の投資のサンクコスト化や業務のスクラップにも結び付き得るものです。したがって海外において、米国の“GAFA(GAMAM)”や中国の“BAT”のような新しい企業がデジタル化の担い手となることが多いのも当然と言えます。新しい企業ほど、過去のレガシー(遺産)が軽いからです。

もちろん、古い企業には変革は難しいということではありません。同時に、忘れてはならないのは、「自然人」とは異なる「法人」としての企業は、あくまで人間がその幸福のために作り出したものであり、その「生存」そのものが政策目的となるべきではないということです。法人は人々の生活の向上や経済の発展に寄与すべきであり、そうでなくなった企業は、資源を経済社会に還すことが望ましいわけです。

2019年秋に訪問した北欧のIT先進国スウェーデンやフィンランドでも、この点は繰り返し強調されていました。政策の目的はあくまで人々の幸福であり、特定の産業、例えばSAABなどの国内自動車産業やNokiaの携帯電話事業の存続にはこだわらないと。そのうえで、再教育などを通じてデジタル化時代に必要なスキルを人々に身に付けさせ、再びリーディング産業で活躍してもらう手助けをするのが政府の役割であると、再三説明してくれました。

日本はこれまで、人々の生命と健康という観点では、コロナ禍を相対的には良く乗り切ってきたといえます。他国と比べ人口当たりの重症者数や死亡者数も少なく抑えられており、この点は評価されて然るべきです。

ただ、この間採られた経済面での政策が、そのままでは経済の新陳代謝を遅らせる方向に働きがちとなるリスクも、そろそろ意識されるべきでしょう。コロナ後の世界をコロナ前よりも良いものとし、デジタル技術を人々の幸福に役立てていく上でも、日本の経済システムがいかに新陳代謝を自律的に進められるかが鍵となるように思います。

■ヒューモニー特別連載3 ポストコロナのIT・未来予想図

写真/ 山岡浩巳
レイアウト/本間デザイン事務所

筆者

山岡浩巳(やまおか・ひろみ)

フューチャー株式会社取締役
フューチャー経済・金融研究所長

1986年東京大学法学部卒。1990年カリフォルニア大学バークレー校法律学大学院卒(LL.M)。米国ニューヨーク州弁護士。
国際通貨基金日本理事代理(2007年)、バーゼル銀行監督委員会委員(2012年)、日本銀行金融市場局長(2013年)、同・決済機構局長(2015年)などを経て現職。この間、国際決済銀行・市場委員会委員、同・決済市場インフラ委員会委員、東京都・国際金融都市東京のあり方懇談会委員、同「Society5.0」社会実装モデルのあり方検討会委員などを歴任。主要著書は「国際金融都市・東京」(小池百合子氏らと共著)、「情報技術革新・データ革命と中央銀行デジタル通貨」(柳川範之氏と共著)、「金融の未来」、「デジタル化する世界と金融」(中曽宏氏らと共著)など。