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ポストコロナのIT・未来予想図

ヒューモニー特別連載3

第77回 デジタル・ドルに関する米国大統領令

2022年03月23日 掲載

筆者 山岡浩巳(やまおか・ひろみ)  

ロシアのウクライナ侵攻から約2週間後、米国のバイデン大統領はデジタル資産に関する大統領令を発出した。その内容を元日銀局長の山岡浩巳氏が解説する。

 3月9日、米国のバイデン大統領は「デジタル資産の責任ある発展を確保する」(Ensuring Responsible Development of Digital Assets)ための大統領令を発出し、デジタル資産に対する包括的かつ省庁横断的な検討を指示しました。 この大統領令については、2月24日のロシアのウクライナ侵攻から2週間後、また、3月1日にEUがロシアの7銀行をSWIFT(国際銀行間通信協会)のネットワークから外す決定をしてから約1週間後に発出されたため、これらの関係が話題となっています。

今回の大統領令は、財務長官、法務長官、商務長官、FRB(連邦準備制度理事会)議長など多数の行政機関に、今から半年間での広範な検討および報告を求めています。さすがに、わずか1、2週間でこのような幅広い行政機関への調整を全て完了させることは困難であり、検討の方向自体はロシアのウクライナ侵攻前から固まっていたと考えられます。実際、米国政府の担当官もそのように説明しています。

もっとも、大統領令の内容には、今回のロシア制裁が浮き彫りにした論点と重なるものが多く含まれていることは確かです。実際に、政府の担当官は大統領令を巡る記者会見において、ロシア―ウクライナ問題に言及しています。したがって、今後の検討は、ロシア制裁により一段と高まった米国当局の「安全保障」や「違法な金融行為の抑止」などへの問題意識を反映していく可能性が高いでしょう。

大統領令の特徴

大統領令の対象とする「デジタル資産」とは、暗号資産(仮想通貨)、ステーブルコイン、および中央銀行デジタル通貨を指すとされています。

大統領令ではまず、2021年11月時点で、民間により発行されるデジタル資産は全世界で3兆ドル(約360兆円)に達し、5年前の140億ドル(約1兆6,800億円)から200倍以上に増加していることを紹介しています。また、米国人の成人の約16%に相当する約4000万人の人々が暗号資産への投資の経験を持ち、世界で100以上の国々が中央銀行デジタル通貨の研究をしているとも述べています。

その上で大統領令は、デジタル資産に関する6領域にわたる主要課題を掲げ、これらについて関係省庁や関係機関で協議し、半年以内に検討結果を報告書として提出するよう求めています。これら6領域とは、具体的には以下の通りです。

・消費者・投資家保護
・金融システムの安定
・違法な金融行為(illicit finance)の防止
・グローバル金融システムおよび経済競争力の面での米国のリーダーシップ
・金融包摂
・イノベーション

安全保障上の論点

大統領令ではまず、このようなデジタル資産には、データセキュリティやプライバシーも含めた消費者・投資家保護、システミックリスクも含めた金融システムの安定などの論点があることを指摘しています。これらの論点については、これまでもさまざまな国際会議で指摘されてきました。

その上で、今回の大統領令の特徴は、これらの論点に加え、デジタル資産が犯罪や違法な金融行為に悪用されるリスクを指摘し、さらに人権や安全保障上の論点も掲げていることです。

すなわち、大統領令では、「デジタル資産が米国や海外の金融制裁を回避する手段として用いられるリスク」について明記しています。この点、現在、ウクライナ侵攻に対するSWIFTからのロシアの7銀行除外などの金融制裁を巡り、暗号資産が「制裁逃れ」に用いられる可能性を指摘する見解が一部にあります。実際には、暗号資産を使う制裁逃れにはかなりの制約やリスクを伴いますので、多額の支払いについて暗号資産を用いて制裁を免れることはなかなか難しいでしょうし、米国政府の担当官も同様の趣旨を述べています。とはいえ大統領令は、グローバルな決済インフラは法の支配を受ける透明なものでなければならないこと、ドルの決済インフラは米国の利益にかなうように設計されるべきであること、さらに、米国が国際決済インフラの分野でリーダーシップを果たし続ける必要があることを強調しています。

加えて、中国が国内で「デジタル人民元」に関する実証実験を進める中、今回の大統領令では、海外の中央銀行デジタル通貨が米国の利益に与える影響や他の通貨を置き換えてしまう可能性についての調査も求めています。また、国際的な中央銀行デジタル通貨の調査研究において、米国がリーダーシップをとるべきであるとも述べています。

このように、今回の大統領令の内容をみると、現在の状況下で米国当局が暗号資産や他国の中央銀行デジタル通貨に持つ懸念を率直に表明している部分が数多く見受けられます。

持続可能性と脱炭素化

また、今回の大統領令では、暗号資産などの「マイニング」がエネルギー需要や気候変動に及ぼす影響についても調査するように命じています。一方で、ブロックチェーンなどの新しい技術が、気候変動対応に貢献し得る余地についても調査するよう求めています。このように、「気候変動対応」という論点が前面に出ていることは、現在の世界の議論を反映しているように思えます。

今後の検討の方向性

大統領令では、仮に米国が中央銀行デジタル通貨(デジタル・ドル)を発行することになった場合の法的対応も含め、暗号資産や中央銀行デジタル通貨に関するさまざまな論点について、今から半年の間に関連機関が連携しながら、短期集中的に包括的な調査を行い、大統領に報告するよう求めています。

現下の国際情勢、および、大統領令にも表明されている米国当局の安全保障や違法な金融行為の防止などへの強い関心を踏まえますと、今後、匿名性を売り物にする暗号資産やKYC(顧客確認)の甘い暗号資産、これらを用いた送金などに対し、米国当局は厳しいスタンスで臨むと考えられます。

これまで暗号資産や中央銀行デジタル通貨に関する議論は、金融システムや金融政策への影響など、経済的な論点に関するものが中心でした。しかし、支払決済システムは本質的に、各国の通貨発行権やインフラの監視・制御、さらには経済安全保障などとの問題とも深く関わるものです。今後、暗号資産や中央銀行デジタル通貨に関する議論はますます、安全保障のような経済を超える論点にも広がっていくことになるでしょう。

 

連載第78回「ロシアの金融政策は何をしているのか」(3月30日掲載予定)

■ヒューモニー特別連載3 ポストコロナのIT・未来予想図

写真/ 山岡浩巳
レイアウト/本間デザイン事務所

筆者

山岡浩巳(やまおか・ひろみ)

フューチャー株式会社取締役
フューチャー経済・金融研究所長

1986年東京大学法学部卒。1990年カリフォルニア大学バークレー校法律学大学院卒(LL.M)。米国ニューヨーク州弁護士。
国際通貨基金日本理事代理(2007年)、バーゼル銀行監督委員会委員(2012年)、日本銀行金融市場局長(2013年)、同・決済機構局長(2015年)などを経て現職。この間、国際決済銀行・市場委員会委員、同・決済市場インフラ委員会委員、東京都・国際金融都市東京のあり方懇談会委員、同「Society5.0」社会実装モデルのあり方検討会委員などを歴任。主要著書は「国際金融都市・東京」(小池百合子氏らと共著)、「情報技術革新・データ革命と中央銀行デジタル通貨」(柳川範之氏と共著)、「金融の未来」、「デジタル化する世界と金融」(中曽宏氏らと共著)など。