Phone: 03(5328)3070

Email: hyoe.narita@humonyinter.com

ポストコロナのIT・未来予想図

ヒューモニー特別連載3

第46回 カリブの海賊とデジタルマネー

2021年07月28日 掲載

筆者 山岡浩巳(やまおか・ひろみ)  

デジタル通貨を実際に発行した中央銀行は今なお限られているが、昨年10月のバハマに続き、本年、東カリブ中央銀行も4か国での試験発行に踏み切った。カリブ諸国の積極姿勢の背景について、元日銀局長の山岡浩巳氏が解説する。

現在、中央銀行が発行するデジタル通貨(中央銀行デジタル通貨)が世界的な注目を集めています。この背景としては、中国が「デジタル人民元」について積極的な実験を行っていることなどが指摘できます(6参照)。 もっとも、現時点でデジタル通貨を実際に発行している中央銀行は限られています。最も早くからこの検討に取り組んできたスウェーデンもなお発行の決定には至っていませんし、デジタル決済インフラ“Bakong”の検討を進めているカンボジアも、中央銀行自身が、「Bakongは中央銀行デジタル通貨ではない」と述べています(24参照)。

この中で、積極姿勢が目立っているのがカリブ諸国です。バハマは昨年1020日、世界で初めて、中央銀行デジタル通貨を正式に発行しました(21参照)。そして本年331日、東カリブの8か国・地域(アンギラ、アンティグア・バーブーダ、グレナダ、セントクリストファー・ネビス、セントルシア、セントビンセントおよびグレナディーン諸島、ドミニカ国、モントセラト)が共同で運営する「東カリブ中央銀行」も、デジタル通貨「DCash」の試験的発行を開始しました。

©️DCash

カリブのデジタル通貨“DCash”

東カリブ海の国・地域は1981年、「東カリブ諸国機構」(Organisation of Eastern Caribbean States, OECS)を組織し、1983年には「東カリブ中央銀行(East Caribbean Central bank, ECCB)を設立しました。この中央銀行は、東カリブの国々や地域で使われる共通通貨「東カリブ・ドル」を発行していますが、東カリブ・ドルは米ドルにペッグされた通貨であり、もともと「金融政策の独自性」はありませんでした。この点は、既に中央銀行デジタル通貨を発行しているバハマと同じです。

そして、東カリブ中央銀行は20193月から中央銀行デジタル通貨に関するパイロットプロジェクトを進め、本年、中央銀行デジタル通貨“DCash”を試験的に発行しました。この試験発行に参加しているのはアンティグア・バーブーダ、グレナダ、セントクリストファー・ネビス、セントルシアの4か国です。今後、1年間の試験期間を経て、東カリブ中央銀行は、DCashを加盟全8か国向けに正式発行するかどうかを決定することになります。

©️DCash

DCashは、東カリブ中央銀行から、許可を受けた銀行(licensed bank)やノンバンクに対して発行され、これら銀行やノンバンクがスマートフォンアプリによるウォレットを通じて個人や企業に提供します。DCashは、個人間での送金や、商店などでの買い物の支払いに利用できます。また、参加している4か国の間でのクロスボーダーでの送金にも使えます。なお、DCashには現金同様、利子はつきません。

©️DCash

個人がDCashのウォレットを開設するには、銀行口座番号か、あるいはパスポートや運転免許証など政府が発行する写真付きIDが必要です。なお、銀行だけでなく、東カリブ中央銀行が“DCash Agents”DCash代理店)として選定したノンバンクもウォレットを提供し、これにより、銀行口座を持っていない人々もデジタル決済手段を使えるようになることが期待されています。個人用のウォレットには、個人の顧客確認義務(Know Your Customer, KYC)や反マネーローンダリング規制に応じた金額制限が課されます。

©️DCash

また、DCashの企業向けウォレットは、Class AClassBClassC3種類があります。このうち、ClassAの残高上限は30万東カリブ・ドル(約1,200万円)、ClassB15万東カリブ・ドル(約600万円)、ClassC25千東カリブ・ドル(約100万円)とされています。

カリブ諸国の積極姿勢の背景

このように、中央銀行デジタル通貨を世界で初めて公式に発行したバハマに続き、今回、東カリブ諸国4か国が試験的に発行するなど、デジタル通貨に関するカリブ海の国々の積極姿勢が目立っています。これはなぜでしょうか。

まず、カリブ諸国は米国との結びつきが強く、殆どの通貨がもともと米ドルにペッグされていることが挙げられます。このため、もともと金融政策には自律性はなく、デジタル通貨発行による金融政策への影響を考える必要がありませんでした。

次に、カリブ諸国では銀行サービスにアクセスできない人々がなお多いことです。中央銀行デジタル通貨をノンバンクの提供するスマートフォンアプリ経由で使えれば、こうした銀行口座を持たない人々もデジタル決済手段を持てることになります。すなわち、「金融包摂」(financial inclusion)の観点からも、中央銀行デジタル通貨が求められやすい事情があるのです。

また、現金を流通させるコストが相対的に高いことも挙げられます。カリブ海に点在する島国においては、国中にあまねく銀行券を行き渡らせることが容易ではないという事情があります。

さらに、カリブ諸国はハリケーンに見舞われることが多く、物理的なインフラの分断が比較的頻繁に起こり、銀行の支店やATMなどが休止したり、現金の配送が滞ることがあります。このような事情からも支払決済が円滑に行われるインフラが求められていました。

 加えて、デジタル技術の世界的な普及も挙げられます。今回のDCashはバルバドスの企業が技術サポートを行うなど、カリブの小国にとっても、デジタル通貨を発行するテクノロジーが利用可能になっています。現金を物理的に流通させるインフラを整備していくよりも、一足飛びにデジタル技術の採用を目指した方が迅速かつ安上がりと捉えられているわけです。

「現代の海賊」への対応

もちろん、デジタル通貨の普及に向けては課題もあります。とりわけ、複数国が共通で用いるデジタル通貨は、ハッカーにとっても目立ちやすい存在といえます。したがって、外部からのハッキングや不正なデータへのアクセスから、インフラやデータをどう守るかは、大きな課題です。

カリブと言えば思い浮かべるのは「海賊」であり、海賊の獲物の典型的なイメージといえば、宝箱から溢れる金貨でしょう。

そして現在の海賊といえば、コンピューターシステムをハッキングしてデジタル資産を盗取したり、ランサムウェアを侵入させ身代金を要求するハッカーです。彼らは海賊同様に神出鬼没、かつ、攻撃の場所も海上に限られません。これらの海賊からデジタル通貨やデータなど現在の財宝を守れるかどうかは、デジタル通貨の普及を左右する大きな鍵といえます。

 

連載第47回「BaaSは銀行を変えるか」(84日掲載予定)

■ヒューモニー特別連載3 ポストコロナのIT・未来予想図

写真/ 山岡浩巳
レイアウト/本間デザイン事務所

筆者

山岡浩巳(やまおか・ひろみ)

フューチャー株式会社取締役
フューチャー経済・金融研究所長

1986年東京大学法学部卒。1990年カリフォルニア大学バークレー校法律学大学院卒(LL.M)。米国ニューヨーク州弁護士。
国際通貨基金日本理事代理(2007年)、バーゼル銀行監督委員会委員(2012年)、日本銀行金融市場局長(2013年)、同・決済機構局長(2015年)などを経て現職。この間、国際決済銀行・市場委員会委員、同・決済市場インフラ委員会委員、東京都・国際金融都市東京のあり方懇談会委員、同「Society5.0」社会実装モデルのあり方検討会委員などを歴任。主要著書は「国際金融都市・東京」(小池百合子氏らと共著)、「情報技術革新・データ革命と中央銀行デジタル通貨」(柳川範之氏と共著)、「金融の未来」、「デジタル化する世界と金融」(中曽宏氏らと共著)など。