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ポストコロナのIT・未来予想図

ヒューモニー特別連載3

第68回 デジタル化とインフレ

2022年01月19日 掲載

筆者 山岡浩巳(やまおか・ひろみ)  

本年、世界的なインフレ率の高まりが注目を集めている。デジタル化は物価にどのように関わるのか。日銀で長らく物価の分析に携わった元日銀局長の山岡浩巳氏が展望する。

 現在、世界的なインフレ率の上昇が注目されています。米国では、昨年12月の消費者物価上昇率(前年比)が7.0%と、1982年以来39年振りの7%台となりました。この中でバイデン大統領をはじめ政策当局者も、インフレ抑制に優先的に取り組む意向を表明しています。欧州でも、昨年12月のユーロ圏消費者物価上昇率(前年比)は5.0%に達しています。日本は米欧に比べれば消費者物価の上昇率は高くありませんが、企業間の取引価格を示す企業物価指数は、昨年12月には前年比8.5%とかなりの上昇になっています。

米国の過去20年間の消費者物価前年比(%)出所:U.S. Bureau of Labor Statistics

デジタル化時代の物価統計作成の難しさ

消費者物価指数は、さまざまな財やサービスの価格を、消費者が平均的に「何をどれだけ買っているか」という割合でウエイト付けして算出されます。しかし、この指数を実際に作成することは、決して簡単ではありません。

そもそも前年と全く同じ財やサービスを見つけること自体、容易ではありません。デジタル技術革新はこの問題を一段と深刻にしています。

経済のデジタル化とともに、人々がデジタル関連の財やサービス、例えばスマートフォンやその利用料に充てる支出は増加傾向にあります。しかし、スマートフォンは性能を向上させた新製品が次々と発売される一方で、過去の製品は比較的短期間のうちに市場に出回らなくなります。さらに、料金プランも複雑であり、変更も頻繁です。このため、今や人々の支出のコアとなっているスマートフォン関連の支出において、「昨年と全く同じもの」を簡単に探せるわけではありません。

さらに、デジタル化に伴い、店頭ではなくネットショッピングでモノを買う人が増えています。ネットショッピングでは店頭販売に加え、消費者のデータを分析した上で細かな価格戦略を講じることが可能になっています。例えば、大量に、あるいは頻繁に購入する消費者に対してボリューム・ディスカウントが提供される場合、「誰が買うかによって値段が異なる」こともあり得るわけです。

加えてネットショッピングでは、「会員割引」のように、購入の際に会員になって個人情報を入力すれば安くする、といった販売形態も増えています。これは実際には値引きと言うよりも、売買と同時に企業側が顧客側のデータを購入し、その差額を「割引価格」と呼んでいるわけで、これをそのまま「価格下落」と捉えることは適当ではないでしょう。

デジタルによる統計の可能性

一方で、デジタル化により統計情報を拡充できる可能性もあります。

例えば、消費者物価は基本的に「月次」の統計ですが、ネットショッピングでは、とりわけ家電製品や航空チケット、宿泊代などを中心に、インターネットに掲載される価格情報や、どれが最安価かといった情報が、日々刻々消費者に提供されるようになっています。このようなネット上の情報を自動的に収集することで、物価データをより精緻化できる可能性が生まれています。

もちろん、これには、ネットショッピングになじみやすい財やサービスの情報以外は集めにくいとか、事業者が消費者の関心を引くために「ダミー」として掲載する実態のない極端な安価を拾ってしまう可能性があるといった課題はあります。しかし、このような課題を十分認識しつつ、新しい技術や媒体を活用し物価指数を精緻化していく意義はあると考えられます。消費者物価指数を作成している総務省は、ウェブサイトから価格情報を自動的に収集する「ウェブスクレイピング」を指数作成に活用する取り組みを開始しており、昨年より「航空運賃」、「宿泊料」、「外国パック旅行費」について、この手法を取り入れるようになっています。

デジタル財と物価

デジタル化時代の物価指数を考える上でのもう一つの論点として、これが直接に物価指数に及ぼす影響が挙げられます。

日本の消費者物価指数は、昨年11月時点での総合指数で前年比0.6%となっています。もっとも、これには昨年4月の携帯電話通信料の引き下げの影響がマイナス1.5%ポイント程度の下押し要因になっており、これを除くとインフレの動向はかなり変わります。このように、携帯電話やスマートフォンが多くの人々にとって必需品となり、その支出のウエイトも高まっている中、その動向が全体としての物価動向にも影響を及ぼすようになっています。

消費者物価指数前年比、%出所:総務省

前述の通り、デジタル財は、技術革新を反映した新製品が次々と投入されることが特徴です。例えば、企業側が「パソコンの売れ筋商品は〇万円台」と思えば、毎年その価格帯を狙って新製品が発売されます。

もちろん、その新製品は去年の製品に比べ、機能面では改良が行われているでしょう。このような機能や品質の向上は、「ヘドニック法」などの手法によって定量化され、実質的には価格低下と評価されて取り扱われます。すなわち、「この機能向上は本来価格〇円の上昇に相当するはずだが、実際には昨年と同じ価格で販売されているので、実質的には値下げされている」と考えるわけです。このため物価指数上、技術進歩のスピードの速いデジタル財の価格は下落することが多くなります。

消費者物価指数およびその内訳としての携帯電話、パソコン価格出所:総務省

もちろん、このような品質向上による計算上の価格低下は、消費者側では「値下げ」と実感されにくいものです。消費者とすれば、「同じ価格帯の新製品に買い替えている」という感覚でしょうし、そもそも昔のパソコンでは今のソフトウェアやウェブサイトが十分に動かないため、必要に迫られて買い替えている人々も多いわけです。

デジタル化とインフレ

これらを踏まえると、デジタル化とインフレとの関係について、以下のことを意識しておく必要があるでしょう。

まず、デジタル化に象徴される技術革新は、個別のデジタル財の物価指数上の価格を引き下げる方向に働き得ることは確かですが、だからといって、全体のインフレ率まで安定させられるわけではないということです。これは現在の世界の物価動向が示している通りです。

また、デジタル技術革新がデジタル財の価格を押し下げる方向に働く中にあって、全体としての物価指数が上昇しているのであれば、消費者の「体感」する物価上昇は統計上の物価指数の上昇を上回っている可能性が高いでしょう。現在米国において、米国民の声に押される形で、議会や大統領、中央銀行(FRB)などがインフレ抑制姿勢を強く打ち出していることは、国民の物価上昇への懸念がそれだけ強いことを示しているように思えます。

加えて、デジタル技術革新をインフレ動向の把握にどのように活用できるか、不断の検討を続けていく必要があります。今後、IoTなどデジタル技術の広範な応用を通じて、広範な製品の機能向上が進むでしょうし、インターネットを通じた消費活動もさらに拡大していくでしょう。企業側も、消費者の嗜好や購買の頻度、購買量などに応じたきめ細かな価格設定など、価格戦略をさらに複雑化させていくでしょう。このような中で信頼に足る物価統計を維持しようとすれば、この面でのデジタル技術の一層の活用は不可欠と考えられます。

 

連載第69回「デジタル化とメタバース」(126日掲載予定)

■ヒューモニー特別連載3 ポストコロナのIT・未来予想図

写真/ 山岡浩巳
レイアウト/本間デザイン事務所

筆者

山岡浩巳(やまおか・ひろみ)

フューチャー株式会社取締役
フューチャー経済・金融研究所長

1986年東京大学法学部卒。1990年カリフォルニア大学バークレー校法律学大学院卒(LL.M)。米国ニューヨーク州弁護士。
国際通貨基金日本理事代理(2007年)、バーゼル銀行監督委員会委員(2012年)、日本銀行金融市場局長(2013年)、同・決済機構局長(2015年)などを経て現職。この間、国際決済銀行・市場委員会委員、同・決済市場インフラ委員会委員、東京都・国際金融都市東京のあり方懇談会委員、同「Society5.0」社会実装モデルのあり方検討会委員などを歴任。主要著書は「国際金融都市・東京」(小池百合子氏らと共著)、「情報技術革新・データ革命と中央銀行デジタル通貨」(柳川範之氏と共著)、「金融の未来」、「デジタル化する世界と金融」(中曽宏氏らと共著)など。