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ポストコロナのIT・未来予想図

ヒューモニー特別連載3

第76回 ウクライナと国際金融

2022年03月16日 掲載

筆者 山岡浩巳(やまおか・ひろみ)  

ウクライナは歴史的にも、また国際金融の舞台としても困難な道を辿った国である。国際通貨基金(IMF)においてリーマンショックからウクライナ支援までの政策決定を経験した山岡浩巳氏が解説する。

今回は、ITとはやや離れますが、ウクライナ情勢が世界の注目を集めている中、私にとっても国際通貨基金勤務の中で思い出深いウクライナ支援パッケージについて記しておきたいと思います。

ウクライナの経済危機

私は2007年から国際通貨基金(IMF)に日本理事代理として勤務しました。着任当初、世界は“Great Moderation”(大安定期)”と呼ばれる、経済史でも稀な安定期にありました。後から見れば、実は2007年は大安定期の最終年だったわけですが、着任当初は、IMFからお金を借りて利息を払っているのはほぼトルコだけという状況でした。危機国にお金を貸すのが仕事であるIMFとしても、世界が安定して仕事が減っているので、職員も減らさなければというリストラの時代でもありました。

ところが、2008年に生じたリーマンショックとグローバル金融危機により世界経済は激変しました。IMFは急激に忙しくなり、リストラした職員を雇い直し、さらに増員もしなければ仕事が回らない、という激変を経験しました。

グローバル金融危機後に経済が悪化した国としては、ギリシャをはじめとする欧州の国々が有名ですが、実は、2008年9月のリーマンショック後、真っ先に経済が危機に陥ったのはアイスランド、ラトビア、そしてウクライナでした。

実際、アイスランドは2008年11月19日に21億ドルの融資パッケージ、ラトビアも同年12月23日に23.5億ドルの融資パッケージが決定されました。なかでも、最も早く、また、最も多額の支援が決定されたのがウクライナであり、2008年11月5日に164億ドルの融資パッケージが決定されています。

ウクライナの苦難の歴史

ウクライナは、東ヨーロッパの文化的中心都市であるキエフを首都とする国です。キエフと言えばムソルグスキーの名曲「展覧会の絵」の終曲「キエフの大門」を思い浮かべる人も多いでしょう。この曲はロックバンドEL&Pによる編曲でも有名です。

一方で、ウクライナは大変な苦難を経験してきた国でもあります。ユダヤ人の大規模な強制移住の地となり、ソ連のスターリン時代には、「ホロドモール(強制飢餓)」という悲劇の場所にもなりました。この時に亡くなった方々の数はいまだに不明ながら、一千万人を超えるとの見方もあります。これは、ポル・ポト政権時のカンボジアをはるかに上回っており、20世紀最大の悲劇と言えます。

ホロドモールの悲惨な光景

このような歴史を背景に、ウクライナ出身のユダヤ系の人々は海外に多く、とりわけ音楽界、特にピアノ音楽の分野では、ホロヴィッツをはじめ多くの世界的演奏家を輩出しています。同時に、経済界にもウクライナ系ユダヤ人の方々は多く、当時のIMFのナンバー2であったリプスキー筆頭副専務理事は、米国に移住したウクライナ系ユダヤ人の家系です。このようなウクライナとユダヤ人との歴史を考えれば、ロシアのプーチン大統領がウクライナの政権をナチスにたとえるのは、悪い冗談としか思えません。

経済の困難

当時のIMFのトップであるストロスカーン専務理事もユダヤ系であり、IMF首脳はウクライナ支援に並々ならぬ決意で取り組んでいたのを思い出します。当時のウクライナのユシチェンコ大統領は毒殺未遂事件で、また当時のティモシェンコ首相は独特の髪形で覚えておられる方も多いのではないでしょうか。彼らとIMFとのトップレベルの交渉が精力的に行われ、異例のスピードで支援策が決定されました。

ウクライナのティモシェンコ首相(当時、右)

もっとも、その後の経済状況は、アイスランドやラトビアとは大きく分かれることになりました。

IMFのラトビア支援は、かなり厳しい構造調整を要求するものでした。しかしラトビアは「欧州の一員であり続けるため、いかなる構造調整も乗り越える」と固い決意を示し、これを受け入れました。その後、アイスランド、ラトビア両国の経済は順調な回復軌道をたどり、両国への支援はIMFでも成功例として語り継がれています。また、ラトビアは2014年にユーロを導入しています。

対照的に、ウクライナ経済は苦難の道を辿ってきました。複雑な民族構成などもあって、政情不安や政権内での対立などが相次ぐ中、当時のIMFの交渉相手であったユシチェンコ大統領とティモシェンコ首相はその後対立し、いずれも政治の舞台から退場し、ティモシェンコ女史は逮捕までされるに至ります。ウクライナ経済はその後も低迷し、ロシアによるクリミア併合が行われた後の2015年には、ウクライナのGDPは約10%も縮小しています。

アイスランド、ラトビア、ウクライナの経済成長率(%)
ウクライナ:黄、アイスランド:青、ラトビア:赤、世界経済:点線出所:国際通貨基金

歴史と文化のウクライナ

IMF勤務当時、私の同僚であったウクライナ理事代理はお子さんを日本に留学させている日本通であり、ウクライナの状況を、日本の第二次世界大戦後の混乱の時代と重ね合わせて説明してくれました。彼の話から私も、ウクライナの置かれた状況の大変さを垣間見ることができました。

国を離れたウクライナ系の人々が世界中に散らばり、その子孫も多い中、とりわけ米欧の人々にとって、ウクライナの問題は我々が思う以上に身近であるように思います。何よりも、これだけ才能に溢れた人々を数多く輩出している国であり、文化を築き上げてきた地域でもあります。ウクライナの人々が平和を取り戻せるよう、世界で力を合わせていくことが必要だと思います。

 

連載第77回「デジタル・ドルに関する米国大統領令」(3月23日掲載予定)

■ヒューモニー特別連載3 ポストコロナのIT・未来予想図

写真/ 山岡浩巳
レイアウト/本間デザイン事務所

筆者

山岡浩巳(やまおか・ひろみ)

フューチャー株式会社取締役
フューチャー経済・金融研究所長

1986年東京大学法学部卒。1990年カリフォルニア大学バークレー校法律学大学院卒(LL.M)。米国ニューヨーク州弁護士。
国際通貨基金日本理事代理(2007年)、バーゼル銀行監督委員会委員(2012年)、日本銀行金融市場局長(2013年)、同・決済機構局長(2015年)などを経て現職。この間、国際決済銀行・市場委員会委員、同・決済市場インフラ委員会委員、東京都・国際金融都市東京のあり方懇談会委員、同「Society5.0」社会実装モデルのあり方検討会委員などを歴任。主要著書は「国際金融都市・東京」(小池百合子氏らと共著)、「情報技術革新・データ革命と中央銀行デジタル通貨」(柳川範之氏と共著)、「金融の未来」、「デジタル化する世界と金融」(中曽宏氏らと共著)など。